司法サポートプログラムとは
アパリはわが国の刑事司法手続に薬物依存症治療を義務付ける制度が未整備であることに着目し、薬物問題を抱えた刑事被告人の方に、刑事裁判中に保釈申請して制限住居をダルクや病院に設定して一刻も早い治療につながっていただけるようコーディネートする司法サポートを中心に平成12年から活動してきました。
アパリは刑事政策的観点から薬物依存症の治療を刑事司法システムに導入することを目指して、刑事司法手続の各段階にいる薬物依存症者に対して、アパリと密接な連携をしているダルク(全国に約70箇所ある民間の薬物依存症リハビリ施設のうち、アパリの司法サポートに協力してくれるダルク)、あるいは、精神科病院の医師と協働して援助の手を差し伸べています。
アパリ司法サポートの流れ
裁判段階
- 裁判段階では保釈プログラムと言って、保釈を許可された人にその期間、アパリと連携しているダルク等の施設に入寮し、プログラムを受けてもらい、その進捗状況を裁判で評価してもらいます。
- 裁判段階で保釈が取れない人には通信リハビリプログラムを開始します。
- 裁判の時には弁護人と打ち合わせを行い、情状証人に立ったり、報告書を裁判所に提出します。
- 刑務所で実刑になった人には、受刑中の引受人となり、帰住地をダルク等に設定できるように紹介します。
- アパリのカウンセラーとの間で、通信リハビリプログラムに取り組んでもらいます。
この通信リハビリプログラムは出所するまでの間、おおよそ2か月に1往復程度のやり取りを続けます。 - 執行猶予判決が言い渡された場合はその日から、実刑判決で刑務所に行った場合は出所日から、アパリと密接に連携しているダルクに入寮してもらい、治療プログラムを受けてもらうようにしています。
- 出所日には仮釈放の場合でも満期釈放の場合でも原則としてアパリのスタッフが迎えに行きます。
仮釈放の場合には、入寮するダルクの施設のある地域にある保護観察所に一緒に同行し、手続をしてからダルクに向かいます。 - 満期釈放の場合は、刑務所からまっすぐダルクに向かいます。
- プログラムがすべて終了した時点で、ダルクから円満退寮することになります。
- 社会復帰
司法サポート事例
①Aさんの場合 「出所後3カ月で5度目の逮捕!」
Aさんが府中刑務所服役中に家族が相談に来た。出所したら入院またはダルクへの入寮など治療を勧めたかった。しかし全て頑なに拒否。自分の人生にはダルクもアパリも一切関係ないので関わらないで欲しいとアパリにも手紙がきた。その服役が終わり、仮釈放をもらい保護会に入ったが保護会にいる仲間に誘われ、最初は断っていたが、断り切れずについつい覚せい剤に手を出してしまった。使うと精神状態が不安定になり、家族に電話で助けを求めたりした。そうこうしているうちに保護会を出て一人暮らしを始めてすぐに覚せい剤で逮捕された。
※アパリの司法サポート・・・
- 弁護士に逮捕された2日後に接見に行ってもらった。
- その際、もう自分の力だけではどうにもならないので助けて欲しいと初めて助けを求めてきた。
- 藤岡ダルクを制限住居とした保釈を何度も申請して却下になりながら、粘り強く申請してやっと通った。アパリ職員が出迎えに行き、その日のうちに入寮した。
- 保釈中を利用してプログラムに真面目に取り組んだ。
求刑:3年6月 判決:3年 - 実刑判決で4回目の服役を立川拘置所で過ごし、仮釈放で藤岡ダルクに入寮した。真面目にプログラムに取り組んでいる。
- アパリと関わる前、家族は地元の家族会に7年も通っていた。
しかし・・・そこでの教えは「突き放し」だけだった。何のためにそれをするのかの説明がないまま。その教え通りに行動したが、なかなか息子は回復に向かわない。
前回受刑中、身元引受を家族ではなく、ダルクの施設長になってもらいたいという希望があったのに、そのやり方を教える手紙が送られてこなかった。本来であれば、手紙や面会で説明する必要があった。しかし本人がいくら手紙を出しても返事がなく、ダルクを身元引受にできなかった。
本人はそんなダルクに不信感を持ち、また家族会にも不信感を持ったため、アパリが手紙を出した時には、ダルクもアパリも関係ないから二度と手紙をよこすなという返事がきてしまった。 - そののち保釈でダルクに行く道中で、あのような手紙を書いて申し訳ないと謝っていた。
- 家族はアパリの家族教室には遠方から熱心に通って勉強している。
- 現在は、入寮生活にも慣れて落ち着いた生活をしているので、そろそろ社会復帰の準備を始めようとしている。
②Bさんの場合 「5カ所のダルクを転々と・・・」
覚せい剤・大麻で3回逮捕。学歴は大学院卒、父親もエリート。
小さい頃からいじめを受けていた。発達障害(ADHD)の診断を受けている。
最初にアパリが関わった裁判では、控訴審で保釈を取り藤岡ダルクに入寮した。そこでは人間関係がうまくいかず、トラブルメーカーであった。その後の判決で実刑のため静岡刑務所に服役。出所後は、沖縄ダルクを希望して入寮。しかししばらくして逃亡し東京へ戻る。その際、日本ダルクの入寮を勧めて入寮するも様々なトラブルを抱える。次に京都ダルクの施設長を紹介し、その施設長の元でしばらく入寮する。しかしもうダルクで学ぶことはないと言って出ていった2日後に大麻所持で逮捕。この時保釈申請はしなかった。
※アパリの司法サポート・・・アパリが関わって2度目の裁判
求刑:2年 判決:1年2月の懲役
- 神戸刑務所を満期で出所。
- その際、三重ダルクを勧めて施設長を身元引受人として入寮することになった。
- ダルクが出所出迎えに行った際、刑務所内で知り合った売人も迎えに来ていた。
- 売人VSダルクで一悶着あったがダルクの車に乗った。
- その後は三重ダルクで順調にプログラムにのり、2年が経過したのち円満退寮。
- 三重県内の会社に正社員として働き、落ち着いた生活をしていた。
- その後、名古屋の会社に転職し、そこで知り合った彼女と結婚して幸せに暮らしている。
- NAやダルクとは関わり続けている。
- 父親は厳格で教育熱心であった。発達障害だと気付いて、その対応方法などの勉強会に参加。
- 薬物の問題がわかってからは家族教室に熱心に参加。
- しばらく両親ともに海外に移住し、本人に居場所を教えていない時期もあった。
- 現在、家族は地方で会社を経営し、発達障害の人を積極的に雇用している。
- 最初の逮捕以来、母親は精神的に不安定になってしまい、関係が修復するまでには時間が必要。
③Cさんの場合 「執行猶予切れて2年で・・・」
覚せい剤事犯で2回目の逮捕の時に、都内の精神保健福祉センターの紹介でご家族がアパリに相談にくる。妻と一緒に逮捕されたが妻は初犯。執行猶予が切れて2年なのでほぼ実刑事案。当時アパリでも執行猶予が切れて5年が再度の執行猶予の最短であった。
友人が病院で働く看護師であったため、その友人が治療を強く勧めたこともあり、治療にのった。
※アパリの司法サポート・・・
保釈を取って下総精神医療センターに入院。
- 退院後は自宅に戻り、両親、妻とともに生活をする。ダルクへの入寮も考えたが自宅に戻った。
- その後はNAと病院に定期的に通い、友人の紹介で医療関係の仕事の内定をもらう。
- 裁判は11か月にも及んだ。その間に警視庁の「NO DRUGS池袋」にも参加した。
- 情状証人には下総精神医療センターの平井慎二医師、アパリ事務局長など5名が立ち、今後の支援計画も提出した。
求刑:2年6月 判決:懲役2年6月執行猶予5年
執行猶予後の取り組み
- 友人が上司である職場で働き、定期的にその上司が薬物検査を実施していた。
- NAにも真面目に通い、毎年NAのバースデーを夫婦で迎えていた。
- 下総精神医療センターには定期的に通院。
- NO DRUGS池袋にはその後も通い続けていた。そこで役割も与えられていた。
- 家族は家族教室に熱心に通っている。
- その後、夫婦仲良く共働きしながら平穏な生活を送っている。